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【発達障害】ADHDは障害か、個人の特性か

このブログのタイトルにもしていますが、私はADHDの診断を受けています。

診断を受けたのは2年前なので、それまでは健常者として生きてきました。

診断を受けたことで、治療薬等のサポートがあるので後悔はしていませんが、たまに頭によぎることがあります。

それは、ADHDは本当に障害なのか、ということです。

今回はこのことについて私の考えを書きます。

暇つぶしにでも読んでいただければ幸いです!

 

以下の著書を一部参照しています。

 

✔本記事の内容

 

1.ADHDと遺伝の関係

障害や個々の特性に共通する要素として遺伝があると考えています。

ADHDにも遺伝の要素があると言われています。

ADHDである者の血縁者はそうでない者に比べて、多動や鬱等の精神的疾患がある人が多いことは研究で明らかになっています。

 

昔ではありますが、1990年にマサチューセッツ総合病院のジョセフ・ビーダーマン博士らが行った「ADHDの子供がいる家族の肉親に、ほかにADHDと診断された人がいるかどうかを調べた研究」では以下のような結果が出ています。

 

【研究内容】

75人のADHDの子供の両親、きょうだい457人と、26人の対象郡の子供、26人のADHD以外の精神疾患の子供とその近親者、についてADHDの発現率を調査。

 

【調査結果】

ADHDの子供の両親、きょうだい、の発現率は約25%。

その他のグループ、の発現率は約5%。

 

5%というのは人口全体の発現率とはぼ同じと言われていますから、ADHDであるものの血縁者は通常より5倍ADHDである確率が高いことになります。

 

こういった研究結果からもADHDに遺伝的要素がある可能性は非常に高いと言われています。

 

2.個人の特性も遺伝する

ADHDの遺伝にという点に焦点を当てた場合、障害と特性の境界線がわからなくなってきます。

先にも述べたように、ADHD同様に個人の特性も遺伝するからです。

身長、体重、頭の良さ、歌のうまさ、容姿、運動神経、学習能力、といった私たち人間の特性のほとんどは遺伝していきますよね。

 

ADHDの不注意、多動といった症状も特性の遺伝と考えてしまうこともできるのではないかと思えてきます。

いや、ADHD、発達障害に限らず、障害と呼ばれている多くの症状にこの考えは当てはめることができます。

 

人間の異常な状態を障害と定義するのであれば、その線引きは誰がするのでしょうか。

正常と異常の差は何なのでしょうか。

 

3.社会に適応できなければ障害【結論】

きっと遺伝子的には正常(健常)と異常(障害)に明確な優劣なんてないのだと思います。

正常と異常の線引きは社会に適応できるかどうかで決まるのです。

 

社会に出ると人は1本の線の上に並べられ、適当なところで線引きされます。

この線の内側の人は健常者で外側の人は障害者、効率化が叫ばれ働き方改革が無理やり押し進められている昨今ではこの線引きラインがどんどん内側に迫ってきているように感じます。

極端に表現すると、効率よく短時間で働けない者は何らかの障害だとみなされてしまう時代が迫ってきているように思います。

 

またこの線引きラインは、個人の所属するグループでも変わってくるように思います。

 

私が勤務していた銀行のようなミスの許されない世界では内側で線を引かれ、芸能界やYoutuber等はかなり外側まで線はないような気がします。

芸能界やYoutuberの個人を活かす世界では、周囲から特性として認識されていることの方が多いのかもしれませんね。

 

4.診断は新たな生きる道

そして少なくとも大人になってからADHDと診断された方については、この正常と異常の線引きを最後に行うのは自分自身ではないかと思います。

 

私は診察を何度か受けている途中で医師との会話などから、きっと発達障害と診断が出るのだろうと何となくわかってきました。

障害という言葉が自分について回ることが本当に嫌だったので、途中で通院をバックレてしまおうか何度も迷いました。

 

でも、私は2年前診断を受けてこうして生きています。

私自身が、自分がADHDであるとの最後の線引きを行いました。

 

本当に限界だったから。

 

当時の私は銀行での営業成績も良く、はたから見れば上手くいっていたと思います。

 

それでも、

 

マルチタスク、ミスの許されない世界での細かいミスの連続、朝の早さ、銀行での業務の全てが私にとって難しく、死ぬほどに辛かったのです。

 

他の人が難なくこなす簡単な雑務が、私にとっては資格試験なんかよりもはるかに大変でした。

 

大げさですが、社内で一番努力していたのではないかと思うほどに頑張りましたが、そこまでやっても私の評価は営業はできるけどミスが多い人止まりでした。

 

周囲との関係も悪くはありませんでしたが、自分のことを理解してくれる人は世界に誰もいないのではないかと感じていました。

 

何でもいいから現状を変えたい、藁にもすがる思いだった私はADHDの診断を受ける決心をしました。

 

診断から2年たち結局銀行は辞めることになりましたが、診断を受けたことに後悔はありません。

 

自分の辛さに理由が付き、また他にも同じように苦しんでいる人がいると知ったことで、依然程の孤独感や辛さはなくなりました。

 

正直、現在のADHD診断方法自体にはいろいろ問題があると思うけれど、本当に限界を感じている人には診断自体が一つの治療になります。

 

5.障害という言葉が嫌い

私はADHDをオープンにしていませんし、今のところネット上以外ではたとえ家族にも言うつもりはありません。

治療薬等には感謝していますが、ADHDや障害という言葉と自分を結び付けると、自分が何もできない人間のように感じてしまうのです。

 

だから日常生活では、できる限りADHDや発達障害について考えないように生きてきました。

それを克服したいと思い、せめてネット上だけではADHDを名乗ってブログを書いています。

 

いつか私が成功した時に、少しでも同じように苦しんでいる方の希望になれば良いなあという思いもあります。

自分に自信を持って全てを公開している人を本当に凄いと思います。

 

私はADHDだと胸を張って周囲に言うことはできませんが、銀行から離れた今何らかの形で成功した時、昔好きだった、社会に出てから嫌いになってしまった、自分の特性がもう一度好きになれると思っています。

(まずは金銭的に成功したい、、、)

 

マイナスをプラスに転換できた時、いつか私の障害が特性に変わると信じています。

 

以上、ADHDは障害か、個人の特性か、でした。

 

ここまで読んでいただいてありがとうございます!!